魚町サンロード商店街協同組合理事長 梯輝元さんに聞く。
▶ 魚町サンロード商店街の歴史についてお聞かせください。
魚町サンロード商店街は昭和56年7月に完成したアーケード商店街です。
魚町銀天街が我が国最初の公道上のアーケード商店街として60年前に完成して以降、小倉の商店街はアーケード文化華やかな時代に突入し、京町銀天街や魚町2番街など各所にアーケード建設のラッシュがおこります。小倉の筋を全部アーケードで繋いで行こうという機運が非常に高まっていました。
そんななか完成した小倉の中では比較的新しいアーケードが魚町サンロード商店街でした。
▶ 町名の由来は?
古くより、紫川の船着きからすぐの場所に、魚河岸が多く存在し、魚町と呼ばれていたと聞きます。 鍛冶町や紺屋町など職人街として栄えた現在の平和通り東側、江戸時代以降は、街の広がりに合わせ、京町や栄町など雅な町名を、小倉の小笠原藩主が京都からもってきたのではないでしょうか。
今の魚町サンロードのあたりは、どういうわけか鳥町と呼ばれにぎわいを見せていました。小倉の大きな筋といえば、鳥町筋と魚町筋。鳥町筋の方がにぎわいを見せていた時期もありますが、戦後、魚町に銀天街のアーケードが建設され、人通り、商店のにぎわいなどが集中し小倉の表の顔が魚町筋に移行していくにつれ、鳥町はどちらかというと裏通りのようになっていきました。
そんな中、昭和40年代に郵便番号ができたのと同じ時期にアーケードエリアの町名が統一され魚町に組み込まれました。現在の魚町三丁目あたりは当時魚町四丁目でした。
現在は旦過市場が魚町四丁目になっています。魚町サンロード商店街のあるエリアは鳥町四丁目と呼ばれていましたが、この時期に鳥町という町名は消滅し、魚町三丁目に組み込まれました。今では小倉祇園太鼓の山車に古い町名である鳥町がのこっているという状況です。
▶ 魚町サンロード商店街の建設以降の事についてお聞かせください。
アーケード完成当時、魚町サンロードには、洋品店、呉服店、ブティック、電気屋、印鑑屋など数多くの商店が存在していました。現在の西日本銀行の駐車場の場所には小さな飲食店が集積して雰囲気の良い路地を形成していました。 半数は飲食店でしたが、アーケードの建設に機運が高まっていたにも関わらず、ルネッサンス通りまでアーケードを繋ぐ計画は、途中でさまざまな反対によって頓挫し、小倉駅から約500メートル離れた場所にわずか107メートルのアーケードが孤立する現在の状況をつくってしまいました。
▶ 現在までお店はどのように変わってきましたか?
当時商売をやっていたビルオーナーがリタイヤするにつれ、建物を売ってしまったり、テナント貸しするようになったため、お店の様子もだいぶ変わってきました。シャッターを締めてしまう店も出て来ています。
一方で若い店主による新しいお店もすこしオープンしてきています。